Cycle Peugeot Museum

Societe Anonyme des Automobiles et Cycles Peugeot (プジョー社の工場)

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この度、フランスの知人からプジョーの工場について書かれた貴重な記事(le Monde illustre " 1918 - Volume 2 - Tome 123)を頂きました。
プジョーに関する情報の多くは、会社の大まかな歴史とデカール類の意味、自転車のモデルに関する説明などで、工場の情報は僕の知る限りほとんどありません。 どれくらいの規模の工場が、何処に存在し、何を製造していたのか、こういうことがよく判らなかったのです。
大切なコレクションのなかから快く資料を提供してくれた友人に心より感謝申し上げます。

なお、下記は彼が運営しているウェブサイトとFacebookです。
「Bicyclette Pliante Gerard」へのリンク
「Pliante Gerard」へのリンク

もうひとつ、僕にプジョー製の軍用折畳式自転車の存在を教えてくれたのは彼で、そちらは European Military Folding Bicycle のページに紹介しています。
ちなみに、翻訳は別のフランス人の友人が口頭でしてくれました。

注:写真は、アルザスの国境(フランスの東)を越える兵士たち。

この会社は、熾烈な国際競争を勝ち抜き、その評判を世界に広めました。 会社の絶え間ない努力は、製造過程における洗練された手作業と優れたな研究成果というかたちで実現されました。

プジョーの工場は良好な地域に設立され、最新設備を備えていました。

注:会社の名前が「Societe Anonyme des Automobiles et Cycles Peugeot」となっているので、まだ自動車部門と自転車部門がひとつの会社で運営されている頃の記事ですね。 ちなみに、会社は1926年に「Automobiles Peugeot」と「Cycles Peugeot」に分離されます。

Beaulieu (ボーリュ)

ボーリュはプジョーの最初の工場で、会社におけるその重要性は年々高まりました。

戦時中、ボーリュの工場では、市民によく知られた有名な自転車が製造されていました。 戦争が終わると、工場は元の民間施設に戻り、その後拡大を続けました。

工場には、別に二つのセクションが設けられ、そこでモペッド(原動機付自転車)を製造していました。 優れた技術によって製造された軽量のモペッドは、スポーツ好きの若者の間で評判でした。

注1:「有名な自転車」というのが具体的にどんなモデルを指しているのか、記事には記されていません。 それで、上の知人に尋ねてみたところ、丁寧に詳細を教えてくれました(再び感謝)。

1.ボーリュでは、自転車(折畳式と通常モデル)を製造していた。
2.キャプテン・ジェラルド・モデル(Captain Gerard Model/軍用折畳式自転車のこと)もこの工場で生産されていた。
3.キャプテン・ジェラルド・モデルには、軍用モデルと民間モデルの2種類があった。
4.軍用モデルの方は、第一次大戦後から1920年代にかけて一般にも販売されていた。
5.モデルの名称は”Model of the French army”で、1913、14、20年のカタログに掲載されている。

Audincourt (オーダンクォート)

オーダンクォートにある施設は巨大な自動車工場で、家族で週末旅行へ出掛けるのに使用されるようなミニバンを製造していました。
工場は、常に最新のコンセプションをもって、最高の製品を世に送り出してきました。

Lille (リル)

リルにある工場も大きく、ここでは戦前戦後を通じリムジンの車体(骨組)を製造していました。ここで生み出される車体は精密かつ強靭であると評価されていました。

Sochaux (ソーショー)

ソーショーもまた巨大な工場で、トラックを製造していました。このトラックは戦争中に敵によって占領され、荒れ果てた地方の町の再生に大きく貢献しました。

Montbeliard (モンベリアード)

モンベリアードの工場では、金属素材のみが製造され他の工場へ配給されていました。

注:写真は、兵隊を運ぶトラックです。

Levallois Pellet (ルバルワ・ペーレ)

プジョーは、本社をパリ近郊(北西)のルバルワ・ペーレという場所に移転し、その横に数百名の労働者を擁する大きな工場を設立しました。 この工場では、乗用車とトラックのエンジンの修理が行われた居ました。

Issy (イシー)

パリ近郊(南部)イシ・レ・ムリノーにも巨大な工場があり、ここでは飛行機の部品が製造されていました。



戦争中、敵に占領され疲弊した地方の人々は、大空を飛ぶプジョー社製の飛行機の編隊を見上げて、救済はすぐに訪れると希望をもちました。 このフランスの巨大な鳥たちは、祖国の自由を回復するため勇敢に戦いました。 人々は、祖国を守るために惜しみない努力を捧げたプジョー社に感謝しました。

我々は、戦争により疲弊した経済のなかで荒廃した地方の再生に取り組みながら、なお希望を持ち続けます。 プジョー社の工場とそこで働く従業員たちの努力はやがて実を結び、偉大な成功となって還って来るでしょう。

注1:写真はプジョー社製の陸軍トラックだと思います。
注2:記事にある「戦争」とは第一次世界大戦(1918年)のことです。




この記事の翻訳作業中、「敵の占領によって疲弊した地方」という言葉がなぜか気になりました。 そうして、たまたま読書中だったアルバート・カミュのペスト (Albert Camus/ The Plague) の裏にこう書いてあることにふと気づきました。

Written just after the Nazi occupation of France. The Plague is a taut, visceral depiction of resistance against a seemingly uncontrollable evil. (ナチスのフランス占領のすぐ後に執筆されました。本書はコントロール困難な悪に対する抵抗運動を比喩的に描いたものである。)

フランスは、両世界大戦でドイツに(一部)占領された経験をもちます。 記事は、外国による支配が実際にどのようなものであったか、ということに対する理解を前提にして、解放に大きく寄与したプジョー社への賛辞を綴っています。 そういう意味では、カミュのペストを読むことでこの記事の意味がより深く理解できるかも知れませんね。



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