Cycle Peugeot Museum

Touring Diary

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 今回は、以前プジョーに乗って訪れた際に途中で引き返した橋を渡り、長い海岸線を走りました。走行距離約80km、程よいワン・デイ・トリップです。 旅の友はFuji Absolute ver.S(えっ、見えないって?じゃ、もう1枚追加)。600ドル程度のリーズナブルな自転車ですが、走行時の感触・機能は洗練されており、 富士自転車(現在の社名はFujiでアメリカ資本の会社になっています)の高い技術力とノウハウに感嘆しました。

 この辺りは、アユタヤ王国(中世のタイ王国)がミャンマー軍に滅ぼされた後、いったん逃げ延びたSinという貴族が兵をまとめ再挙兵した場所です(当時彼はTAKという小国の統治を委託されていたので、Taksinと呼ばれていました)。
 少し詳しく説明しておきましょう。
 Taksinは、カリスマ性と他人を納得させる稀有な才能に恵まれており、それらに惹かれるように人々が彼の周囲に集まってきました。  戦乱で疲弊していた人々は、彼のリーダーシップと勇気そしてヴィジョンを必要としていたのです。  また彼は優れた軍指導者・戦略家であったらしく、瞬く間に勢力圏を拡大していきました。
 

他方、ミャンマー軍の方はアユタヤの各所に火を放ち、仏像を破壊して金を剥ぎ取り、女性を襲い、王族・貴族の他1万人もの人々をミャンマーへ奴隷として連れ去りました。 かつて栄華を極めた帝都は荒廃し、人々は妻子と家財を奪われ、飢餓と病に苦しみ、草を食みながら生死の境界をさ迷ったとのことです。
 Taksinにとって幸運だったのは、ミャンマーがチャイナと戦争を始めたため、すぐに主力軍をタイから引き揚げたという点でしょう。 アユタヤ陥落からわずか6ヵ月後、彼はミャンマーの残軍を駆逐して祖国を回復し、新たな国家の建設に着手しました。 但し彼はアユタヤへは戻らず、トンブリという地域(バンコクの対岸)に都を置き、King Tak Sin the Greatと称えられました。 なお、彼の急速な成功の陰には、彼の父親が中国人であったためか、チャイナ・トレード・コミュニティからの援助(食料・物資・兵器等の供給)があったようです。

まずは橋を渡り、半島にあるカオ・ラエムシン森林公園へ。受付で「日本から来た」と言うと、「津波の被害、大丈夫だった?」と温かいお言葉を頂きました。

海岸で拾い集めた貝殻。波に洗われ砂に削られ、最後に内側の真珠質だけが残ったようです。

 次は漁港へ。唐風の木船がゆらゆらと風に揺られていました。日本の漁船はほぼすべて味気ないFRP製に変わってしまっているので、ちょっとワクワク。  木船の中で寝たことありますか?波が舷側に当たって「キュロロロ、コプコプ、チャプン」とまるで楽器のように音を奏でるんです。  そうして、不思議なほど深く安らかに眠ることができます。

脇道をぐんぐん進んで行ったら、ちょっと素敵な風景に出会いました。クリークでしょうか、まるで水彩画のように潤った光景です。 写真右は、水上の森林。写真が小さいので判らないと思いますが、葉先の線が細かくとても綺麗です。

 思いがけず出会ったサイクリング・ロードとScenic Route の標識。頭のなかで「リンッ」と幸福のベルが鳴りました。

 写真左:意味不明の桟橋。しかも、まるで裁きの場所のように、先へ行くほど踏み板が傷んでいたり、欠落していたりします。  写真右:住宅の軒先にテントを建てただけの食堂で注文したバーミー・ナム(中華麺を使用したタイ・ヌードル)。  「何処から来たの?」、「何で1人で走ってるの?」等など、お店のおばちゃんは興味津々。  友人曰く、「君さ、カンボジアからの不法入国者と間違えられたんじゃない?」だって。

 帰り道、ナムトック(滝)という標識を見つけたので、さっそく水浴びに行きました。どうせすぐ乾くので、服のままジャブンッ!  37度の赤外線に長時間焼かれた身体を急速冷却します。

 最後はチャイニーズ・テンプル。タイ正月の最中なので、参拝の人々がたくさんいました。  40バーツで線香の束を購入し(寄付なので金額はあまり関係ない)、各仏像に対し3本ずつ捧げてお祈りします。

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