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思い出の猫峠ヒルクライム

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5年ぶりに猫峠へ行って来ました。ここは中学生の頃、暇さえあれば訪れていた場所で、僕のサイクリング・ライフの原点と言っていいくらいの場所です。
実家を整理していて見つけた「第2回猫峠ヒルクライムT.T成績表」によると、僕は当時10分11秒(第9位)で登っていました。 後で気付いたのですが、レース開催日は1980年9月21日、そして今回の登坂は2012年9月21日なのですね。それでは32年前の自分にチャレンジして来ましょう。

今回の相棒は、中学時代の先輩から譲り受けたNationalのオーダーフレーム。 別掲載のNambeiフレームをオーダーする際に、参考とするために先行してオーダーしたとのことです。。 実際に乗車してみると、通常ならそろそろ大腿四頭筋・二頭筋の疲労がパフォーマンスに影響してくるという頃に強力なスパートが可能なフレームで、自分のどこにこんな脚力と筋持久力が潜在していたのかと驚愕させられます。 パーツ構成は、ホイール:Fiamme28Hの軽量リム・DuraAceのハブ・フリー、ハンドル・ステム:Cinelli、ヘッド:Campagnolo、ペダル:極東PRO-ACE、サドル:有明ジャガーII軽量ワイヤーベース、シートポスト:Nitto、ブレーキ・変速機:デュラエースという先輩らしい構成で、ボトム・ブラケットにはNational NO.523と刻印されています。 ちなみに、先輩は8分台後半で峠を登っていました。


帰りに撮影した13番コーナー。ここを曲がって100mほど走り抜けるとゴールです。今回のタイムは約15分、学生時代と較べると4分49秒の遅れです。 脚力の低下が影響しているのは言うまでもありませんが、心理的な側面も大きいと感じました。 学生の頃は、酸素欠乏でゴールしてから十数分ほど道路に転がっているのが常でしたが、今回はゴール地点を抜けてそのまま先へ進める程度の余裕がありました。 つまり、以前ほど真剣に登っていないということですね。 良く言えば性格が丸くなったというところですが、一時に燃え尽きるという苛烈さが無くなってしまったようで、寂しい気がしないでもありません。

登坂が一段落したところにひっそりと佇む集落。 通りすがり、村の子供たちが手を振って無邪気に挨拶を交わしてくれました。

集落から少し登ったところにある東光院と慈照院です。 この辺りは篠栗四国八十八箇所霊場として知られる地域で、天保年間に慈忍という僧が四国の八十八箇所を模してつくったのが始まりと言われます。

辺りはもう肌寒く、初冬のかちっとした空気が漂っていました。


頂上付近にある文殊院。幼くして亡くなった子供たちの霊を祭っていることで全国的に有名なお寺だと耳にしたことがあります。

境内ではミツバチが飛び廻り、小鳥が楽しそうに囀っていました。ここに佇んでいると子供達に囲まれているような気がするので、何となくほっとします。


展望台から中腹にある成淵ダムを見下ろします。
中腹から夕暮れ時の街を撮影した光景。学生時代も、大体こんな時間に猛スピードで坂を下ったものです。 当時はリム・セメントを購入する余裕がなく、コーナーでチューブラー・タイヤが外れて吹っ飛んだこともありました。 また財布を携帯しなければならない程お金を持っていなかったので、100円玉1枚だけをレバーパッドに挟み、麓にある自販機で温かいコーン・スープか汁粉を買うのが楽しみでした。


1週間後、タイから友人が訪れたので、再び猫峠へ。自転車は、やはり中学時代の友人が新聞配達をして購入したプジョーPX10を貸し出しました。 最初は意気揚々としていた友人でしたが、第一コーナーでギブアップ。
人間というのは、生まれ育った土地に順化して育ちます。 チャオプラヤ平原という広大な平野で暮らし、街中を散歩程度に走るのが常であるバンコク在住のタイ人にとって、起伏の多い日本の地形は想像を越えたものなのでしょう。 かく言う僕自身、学生時代に変速機なしのママチャリでこの坂を駆け上るセーラー服の少女を見かけ、驚愕したことがあります。

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